思想が違うことが塾教育の源

学習塾において一番大切なことは、思想です。
早い話が、どんな塾にしたいか?それでどう貢献したいか?その方法は?
ということから始めまり、最後は、何故、それをしたいか?ということになります。

そもそもビジネスには、多種多様なものがあります。

その中でも塾を選んだ理由は、生活のためということはあるにせよ、それ以外にも
意図があるはずです。

公教育と違い、私教育では、多様性が大切です。
私は、100人子どもがいれば100通りの教育があっていいと思っていますし、そのことが塾の存在意義だろうと考えています。

一方で、生活のためという部分は避けて通れません。
そのためには、生徒が集まるような仕組みやコースや宣伝をし続ける必要があります。
思想を形にして、かつ一定の層から支持されないと成り立たないビジネスが塾ビジネスです。

一方、生徒を集めるということは、ちょっと例えは悪いかも知れませんが、宗教の信者を集めることにも似ています。
塾の先生が、教室の中では、ある種のカリスマのようになっていくのも、多分に塾ビジネスが、宗教の様相を内包しているビジネスだからです。

宗教が宗教であるための定義としては、以下のことを言われています。

1.信者がいること。
2.経典があること。
3.本殿があること。

塾でも同じです。経典は、塾によっては、マニュアルと言われるかも知れませんし、生徒行動規範のようなものかも知れませんが。
逆に考えると、これらがないとなると、宗教の側面からは、認められないということになります。
つまり第三者には、説得力がないということです。多くの個人塾が、一定の段階で伸び悩むのも、これらの問題と似ています。
そもそも信者は誰なのか?ウチの塾だけの経典は、あるのか?そもそも、ウチの塾の本部は、本殿の役割を果たせているのか?と
考えてもらえればいいと思います。

塾の定義

次にしっかりした塾では指針や定義がしっかりしています。
成績と言った際、それは、模試を指すのか?学校の順位なのか?通知簿なのか?
何を持っていいというのか?(つまりこれが塾の目標の1つになりますので)
これらがハッキリしている塾は、一気に大きくなっていくイメージがあります。
あれも、これも成績と考えている塾は、結局、塾長の頭の中だけにしか基準がないのでなかなか目標も達成できません。
そして最後には、自分自身に甘えて、その基準を無意識に下げてしまい、気付くと塾の生徒の学力が下がっていたという話は本当に多いものです。
成文化するしないは、別としても、そこにはある種の哲学が必要です。

ウチの塾で成績と言ったら「模試」のこと。だから中間・期末は自分でやれ!ウチは、最初から大学受験しかターゲットにしていない!
と言うのか、ウチは、成績=学校の中間・期末の点数のこと。受験は知らん。とにかく学校の成績だけを考える。というのか、これらは趣味ですが、ともかく定義をハッキリしておかないとスタッフも生徒も迷うことになります。

その上で、塾の定義、出来れば「よい塾の定義」まで決めることです。

塾とは・・・

教える所なのか?
学ぶところなのか?
方法論を教えるところなのか?

良い塾とは・・・

良い先生がいるところなのか?
良い学習環境があるところなのか?

など答えは様々です。敢えて私の答えは書いてませんが(11月にはお話ししますが)、これらこそが他塾との違いにもなる源です。

塾の3つの役割

塾は大きく分けて

1.ニーズに応える塾
2.ニーズを作ろうとする塾
3.道を見せようとする塾

に分けられると言われています。私は、どれでもいいと思いますが(しょせん、趣味なので)1つの価値観に絞ることは大事だと言えます。
しかし個人塾は、全てをやろうとします。色々な意味で、大手塾や特徴のある塾の出来そこないの塾に成り下がる可能性が大ですね。

問題は、とにかく「これ!」と決めたら、その価値観を深堀することです。
出来れば、それを仕組み化まで持っていく。森塾は1しか考えていません。
だから、合格実績を出すこともありませんし、逆にフォレスタを開発したりするわけです。

一度、自塾の姿勢を正すうえでも、これらを考えてみるのもよろしいかも知れません。