http://resemom.jp/article/2013/02/25/12325.html
東京大学は3月22日、ソーシャルベンチャーの米Coursera社(コーセラ)と大規模公開オンライン講座(以下、MOOC:Massive Open Online Course)に関する協定を締結し、国内初となるオンライン講座の実証実験を今秋からスタートさせると発表した。
◆ネットを通じて誰でも無償で利用可能
MOOCは、インターネットを通じて誰でも無償で利用できる講座で、教育関係者の間で大きな話題になっている。東京大学では、これまでも無料オープンコースウェア(OCW:Open Cource Ware)やiTunes Uを通じて、ネット上でコンテンツを提供してきたが、同大理事の江川雅子氏は「OCWが授業資料の無償公開であるのに対し、MOOCでは授業そのものを無償公開する。つまりオンラインで誰でも参加できる授業を公開し、修了者には履修証を発行するサービスだ」と、従来の教育コンテンツとの違いについて説明した。
米国ではオンライン大学が盛んで、有償のサービスも多くある。しかしMOOCの場合は複数の大学がコンソーシアムを組んで得意な授業を提供しており、それらのコースを誰でも無償で履修できるという特徴がある。たとえばスタンフォード大学のコンピュータサインスやMITの電子回路、プリンストン大学の公共政策というように、有名大学の講座を1つずつ選んで授業を受けられるわけだ。
「MOOCは、米国だけでなく、高等教育機関が整備されていない世界の国々にも絶大な支持を得ており、2011年に始まった初のサービスでは10万人以上もの履修者を集めた。地理的・時間的な制約がないため、難易度が高い授業でも世界中から多くの人々が集まってくる」(江川氏)という。
これ以外にもMOOCが注目される理由がある。まず高等教育に巨大な新市場が生まれる可能性があることだ。グローバル化が進み、いま世界中で優秀な学生の争奪戦が盛んに行われている。「特にインターネットによるオンラインサービスでは、優秀な学生を一部のサービスが総取りしてしまう現象が起きている。新入生や留学生の誘導へつながることもあり、世界の大学が熾烈な戦いを始めている」と江川氏。
またオンライン学習が授業そのものにも影響を与える、との指摘もある。あらかじめオンラインで学生に基礎知識を学習させておき、本番の授業では応用・演習といった発展的な学習を中心に行う「反転授業」(Flipped Classroom)によって、高い学習効果を得たという報告もあるからだ。
さらに最近ではオンライン学習で単位を与える動きも活性化している。これは履修側にとって大きなチャンスになる。もし難関と呼ばれる大学の単位や履修証が得られれば、今後の就学や転職に有利に働くだろう。社会人でも高度なスキルを積極的に身につけることで、希望の企業への転職が夢でなくなるかもしれない。つまりMOOCは、優秀な学生・人材と企業を結びつける「ジョブマッチング」の機能を果たすということだ。
このように大きなメリットをもつMOOCだが、現時点で「写真2」のように複数のプラットフォームが提供されている。江川氏は「Coursera社は、スタンフォード大学の教員が2012年に設立したソーシャルベンチャー企業。現時点で東京大学を含めて69大学が参加し、223科目の授業が公開され、270万人が登録している。そこで世界最大のプラットフォームを利用して講座を配信することにした」と同社を選んだ理由について説明した。
ただしMOOCへの参加はCoursera社のみに限られるものではない。東京大学としては、将来的に複数のプラットフォームへ参加する可能性もあり得るという見解を示した。
◆まずは文系理系の2コースを配信し、履修証も発行
次に東京大学 副学長・教育企画室長の吉見俊哉氏が「MOOCへの取り組みと今回の実証実験の概要」について述べた。まず2つのコースを今秋(9月を想定)から配信し、世界各国から数万人規模の希望者を受け付ける予定だ。
具体的な講座には、東京大学 政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット長・大学院法学政治研究科 教授の藤原帰一氏による「戦争と平和の条件」(Conditions of War and Peace)(写真7)と、カリブ数物連携宇宙研究機構 機構長・特任教授の村山斉氏による「ビッグバンからダークエネルギーまで」(From the Big Bang to Dark Energy)(写真8)のコースが予定されている。
吉見氏は「村山特任教授には、宇宙の物質において75%を占めると言われ、宇宙形成の過程に大きな影響を与えている謎のダークエネルギーに関する最先端の講義を行っていただく。また藤原教授には、平和や安全保障に関する研究を紐解きながら、権力や民主化の動向と、戦争や平和の条件の関係について明らかにしてもらう」と説明。
「それぞれの分野において世界トップを走る研究者であり、また英語によってアトラクティブな講義を発信できる点、さらにグローバルな教養人として東京大学の教育を世界に打ち出せる人材である点が人選の理由。日本だけでなく、世界の東京大学となるために、知の集積を国際的に発信できるチャンスだと考えた」(吉見氏)。
もちろん講義はすべて英語で行われる。受講対象レベルは大学2年生程度で、難易度は東京大学の通常授業とほぼ同じものになるそうだ。学習にかかる期間は4週から5週程度で、最後まで修了して一定の基準を満たせば履修証が発行される。その基準については各大学のコースによる裁量となるが、出席率やオンラインテストの成績、レポート提出などで重みを付け、それらの成績を組み合わせた計算式の総合評価で判断されるという。
なお履修証については、あくまで講座に関して一定の成績で修了したことを示す証明書であり、東京大学での一般的な「単位」とは異なる点に注意したい(Courseraに参加する一部の大学では正式単位として認定する場合もある。このときは専門機関を通じてテストを受けることになる)。
このような取組みにより、東京大学では履修者の学習状況や成績分布に関する研究や、さらにオンライン学習と対面授業を組み合わせた「反転学習」についても試行的に実践して評価していく方針だという。
◆有償履修証ではキーボードの入力の癖で個人認証
続いて東京大学大学院情報学環 准教授の山内祐平氏が、履修証や反転学習などに関して追加補足の説明を行った。
まず履修証の発行についてだが、個人認証なしの「無償版」および個人認証ありの「有償版」がある。勤務先など企業に提出する場合は、有償版で正式保証されたものを使用することになる(Signature Track)。有償版の発行料金は$30〜$100程度のクレジットカード決済になる予定だ。企業や大学向けに閲覧できるページも提供する。
「有償版の履修証では、個人認証にキーストローク・ダイナミクス技術が用いられる。キーボードで文字を入力する際に、個人の打ち方の癖を解析する技術だ。このコースでは常にモニターを見ながらテキスト入力が行われるため、その履修者が本人か(成り済ましでない)どうか判断できる。またウェブカムによる映像やパスポート写真などもすべて組み合わせて照合する。すでに米国では有償版の履修証コースが始まっており、東京大学でも採用していく予定だ」(山内氏)。
オンライン授業では、どこまで学習が可能なのか、その効果に疑問をもつ方がいるかもしれない。この点について山内氏は「オンライン学習では、学習時間が伸びるため、一部またはすべてをオンラインで学習したほうが、基礎知識の習得については対面状況より成績が良くなるという報告もある。さらにオンライン学習と対面授業を組み合わせればもっとも効果的。先に宿題として基礎を学ばせ、応用だけを授業で行う反転学習では、履修中にオンライン学習を倍速スピードで聞いて習得してしまう学生もいるぐらいだ」とした。
そのため東京大学では、教師が1人で対応するのではなく、TA(Teaching Assistant)や授業配信などの専用チームをつくって対応する。オンライン学習がしっかり展開できた暁には反転授業の効果も測定していく方針だ。また演習型により対話形式で行うアクティブラーニングも視野に入れているという。
このような無料のオープンなオンライン学習が進展すると、授業料を支払ってリアルな大学に学生が通う意義がなくなってしまうのではないか? という疑問も生じる。山内氏は「反転授業だけでなく、大学では教師や仲間とダイレクトで討論したり、オンラインでは学べない高度な内容もあるため、大学として差別化できると思う。一方、オンライン学習は世界に開かれたもので、逆に東京大学の学生が他大学から良い影響を受けられる。これは、いわば教育の民主化だ。オンライン学習は国境を越えて広がる生態系になり、それぞれで共生できるだろう」と説明した。
インターネットさえつながれば、世界中の誰もが貧富の差も関係なく、国境を越えて平等に高度な学習機会が与えられる点は、まさに画期的なことだろう。将来的には、インターネットを通じて世界のナレッジが共有され、グローバル規模で新たな教育の革命と再編が行われることになるだろう。
やる気さえあれば、年齢に関わらず幼少から高齢者に至るまで学習が可能な世界。そこに新たな天才が続々と生まれてくるかもしれない。その際に重要なるのは公用語としての英語だ。英語を使いこなせるかどうかは大きなポイントになるはず。英語によって世界の広がりが大きく変わってしまうため、その重要性もこれまで以上に高まるはずだ。
いずれにしても、MOOCのように数万人を相手にする大規模なオンライン学習については、まだ国内で取り組まれた事例は皆無だ。あらゆることが初体験となるため、今後の東京大学の取組みから目が離せないところだ。